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エディットお役立ちレポート

2017-09-21 第12期第4回AJEC「編集教室」に参加して

【講義内容】◎読者が引き込まれる文章とは? 〜編集者に必要な文章力〜

講師:高橋俊一(たかはし しゅんいち)氏
作家・日本大学大学院講師
講師略歴:1950年生まれ。早稲田大学卒。毎日新聞社会部記者などを経て朝日新聞社入社。朝日学生新聞編集部長、世論調査室次長を歴任。現在は日本大学・大学院講師。著書に『すっきり!わかりやすい!文章が書ける』など。

第4回AJEC編集教室は、元朝日新聞社の記者で、現在、日本大学で、ジャーナリズムと文章論を教えているという高橋俊一さんの講演。

講演内容はAJECのアーカイブにてご確認ください

<感想>

文章について、「シンプルis ベスト」だと言えるかどうかは、問題のあるところだと思われる。ある意味では、『源氏物語』の文章と『枕草子』の文章のどちらが文章としてすぐれているかということを述べるようなことだと思う。もちろん、プログラミング言語でプログラムを書く場合は、シンプルであることによって、バグが出ないようにすることができる。

しかし、「春は曙」のほうが、「いずれの御時にか女御更衣あまた…」という文より分かりやすいと言えても、すぐれているかどうかは別のような気がする。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成『雪国』)、「木曽路はすべて山の中である。」(島崎藤村『夜明け前』)、「吾輩は猫である。名前はまだない。」(夏目漱石『吾輩は猫である』)、「メロスは激怒した。」(太宰治『走れメロス』)、「終わった。」(開高健『兵士の報酬』)など、確かに、うまい書き出しだとは思う。しかし、これは、短いからうまいのだろうか。本当は、短くて、「?」がたくさん生まれるから、次が読みたくなるのではないだろうか。必ずしも、分かりやすいということではないと思われる。特に、小説の書き出しが短いのは、今回の講演の主旨とは、必ずしも一致するとは限らないような気がする。(この文章は、反高橋俊一のような文章の書き方だ!)

削る例として大学の授業でつかっている資料を提示。朝日新聞の天声人語を削るという作業で、2段階で、半分くらいになるという実例。確かに、意味的に通じるが、それがいい文章かどうかは別だと思う。もちろん、説明する文章として、短い文で説明し尽くされるのであれば、そのほうがいいことだけは確かだと思う。そのほうが、読者は楽である。

ただ、コラムや随筆というものは、何かを説明しているだけだろうか、という問題が残る。しかし、こういう風に書くと、多分、高橋俊一さんからは、「だから、お前はバカなんだ」と叱られそうである。

(文責:東京オフィス 塚本鈴夫)